花の溢れる幸福なダストボックス

2017.07.11 Tue 体重計

あんなに綺麗だったやまももの実が落ちて、踏まれて、色あせて、種ばかりになる。
落ちさえしなければ完全だった彼女たちの生が踏みつけにされる、
枯れた薄茶色になることも含めて完璧な生が全うされる。

休講になった授業の時間に中庭で資料を広げ、知人に顔色を伺われる。
木机に落ちる影を見ていると水のなかにいるみたいで、振り返ると空は青い。
こんな気候でわたくしは、一人でいるのだと、
体をつつむ曲線がなだらかになったからといって何になるんだろうか。

それでも、節制、節制、と口ずさむのです。
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2017.07.10 Mon 「血を見ることになるかもしれない」

生育途上の植物のようでありたい。
さんさんとした日光を浴びて、水をたっぷり吸い込んで、
常に生成変化に捉えられているような。

去年外国語を教わっていた先生に駅で遭遇し、大学まで。
こんな風に横にいるのは二度目だと思い返す、あの頃よりはだいぶマシになっていることは分かる。
されどいけない。私はまだ欲しいものを手に入れるには未熟だ。
鬱屈の度合いだけ増して、
「早くおばあさんになりたいんです。」
仏文の人はさすが感度がよく、高すぎて、優しい。
「もっと尖らせてみたら?」いっそのこと、逆に、そのまま、「血を見ることになるかもしれないけれど」と小声で。
小声で行われるべき会話だ。欲望と狂気の話は。

わたくしより美しい女性が多くいて、頭がよく教養深い女性も、愛らしくねだるすべを心得た甘やかな女性も、
では、わたしは?
年若いことは許しになるだろうか、許しにはなれど、何にもならない。

2017.07.05 Wed 白く炸裂する

沢山喋る人の声が届くのだ、かつて繊細であった人たちの集まりでさえも。
わたくしはどうか?
演出であれ存在を感じられなければ黙殺してしまうかもしれない。多く話すわけでも黙っているわけでもない半端なものを。
これが限界だ、今の。

好きな人の手を握れたらどんなに幸せだろう、と考えるには、その人の手は易くは触れられないところになければならない。
好きな人に抱きしめて貰ったらその瞬間に「死んでしまいそうだ」と思うだろうか、頭の中で白い光線がスパークするだろうか。

「私は死ぬまで生殖をしないという選択もあると思う。」と大学でできた友人が言う、中庭のベンチで。

2017.03.02 Thu

からだ。

女の子と接吻する夢をみた。
肩にかからないまっすぐの髪の、私より少し低い身長、痩せた体、恐らくは高校生くらいの。
気のつよい。
後ずさりをして、「私はきみのことが好きではないのだし。」明瞭に告げる(これは珍しいことだ、)だが、
「ちょっと待って、落ち着いて。」と言っている内に唇が触れ合う。
これは性欲なので。そのような心持ちが聞こえる。
それは何?

大きな建物。
小さい頃も夢でみたことのある学校じみた施設を歩いている。植物が多い。
宗教関係者を接待しなくてはいけない、それはブラウン管に住んでいる小太りの男。(我が家のあれは未だブラウン管なので。)
好きなCDを聴きたいと思う、学食の美味しいものはきっともう売り切れてしまった。
私の役目を負わない女の子、たちが駆けている。次の授業に遅れるから、レポートを出す必要があるから。
しかし接待すべき宗教関係の男に付いていればもっと美味しいものをご馳走になるかもしれない、授業に出る気にはあまりなれない。

2017.02.22 Wed 毒物

ものを感受するときの網の目が粗い人は往々にして無関心だが知恵者だろう。
私が愚鈍なのは全てを抱くことに拘っているためです。

「わたくしどもは圧倒的に語彙が足らない。」と、国文学の教授の研究室で
私を殴ろうと意図を汲もうと投げかけられた声を覚えている。
"juste la fin du monde"を一度目観て泣いたのは、私の語彙が少ないからであると 思って、
負け通しではいけないと二度目観に行けば今度はまた異なった色を映す。
「家族愛は信仰だと思うのですけど。」このように問えば、
「しかしその幻想を失うと(弱い)彼らには何にもない。」そのように返ってくる。
成る程、合理的ですっかり納得したけれども、多分三度目を観たらまた違うことを思うだろう。
あれを血縁愛とは幻想でしょうか、と問うた映画にはしたくなくて、
もう少し一般的に考えたい。<強い>かどうかは、作品の外に立てば明らかに影響を及ぼしているが、作品の内部にいれば問題の核心ではないように思われる。
しかし4,500円も落とす気にはならないので、三度目はない。

浴室を暗くしてシャワーを浴びているとき、「ずっと一緒にいてくれる人が欲しい」と気づいたが、
暫くすると、
それは<生きている人>でなくても良いと発見する。(生きている人を欲しがるのは圧力なのではないかしら。)

弱いから家族愛という幻想にしがみつくという考えは正しい、何も持たないから家族制度を拠り所に生きているのだ、ということを否定する気は微塵もなくて、ただ、わたくしはそのことに自覚的である必要がある。
つまり、弱き者が縋る家族愛、以外の家族愛、はあるのか?と次に問います。
あるいは、結婚。