花の溢れる幸福なダストボックス

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2016.12.13 Tue 哀しき夢

昨夜、
中古ですけれど、壊れかけのデスクトップに代わるノートパソコンを父親から譲り受けました。
使い慣れない、からか、言葉に詰まる。
しかしながら、今年のうちに解決しておかなければならない問題が二つ残っており、
今から それに取り組みます。

置き去りにしてきたからには、同様の振る舞いを受け入れるべきなのだろうか、
そのような次元に数週間 留まっていました。
置き去りにするとは?
(耐え難さを感受して)拒絶するということ
しかし多くの場合彼らはわたくしを愛していなかった
病気 という言葉は語彙になく、「愛していることを表明してきたのに、」と、
置き去りにされて、感じながら、戸惑った。
病気だから、という説明しか与えられないような現象に健常者は立ち入るべきではないのだろう。
いけない、震えてきました。
わたくしは、本当の病気の人を知らなかった。清潔なところで無知なままで、
暴力を知らなかった。だから、わたくしは許すでしょう。そしてそこに未来はない。
わたくしは、何よりもまず自分自身を把握していなかった。それは、暴力です。
(過去に、心優しい数名の警告を受け取ったことはあったけれど、蒙昧だった。)

ふたつめ。
「何を求めているのか分からないということは
つまり、何も求めていないということなのだろうか、
と思い、
寧ろ、何を求めているのか分からなくなった の方が適切かと知る。」
これだけ書いて少しの間、放っておいたことがあります。
わたくしには本当にさかいめがない。
どんな解釈も出来ずに戸惑っていたけれど、きっとその一言に落ち着くのだろう。
「文法を自分で作っても良い。」と予備校の講師に初めて言われたとき、まるで理解できなかったことを覚えている。
しかし、そうするより他に解決策はない。
そうしなくては生きていかれないのだから、わたくしは、枠組みを拒絶した後に、
新たな枠組みを作らなくてはいけない。

ものごとを抽象化して一言で済ませては無意味だろうね、
しかしながら働きにはスローガンが要る。
心に留めおくだけで十分なのかもしれない。
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