花の溢れる幸福なダストボックス

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2015.10.25 Sun 空が高い


私がどこに行こうとしているのか少しづつ見えてきて、
今よりもっと無知だったころ惹かれていたものと 共通の
大きな柱があるのを感じます。

講師に「ときに普通の人のフリをしなければ辛いことがあるかもしれない」と言われ、
笑ってしまった。おかしいのは人々であって私ではない。

高校生の時分、自らを文化的諸産物から遠ざけようと決心したときに、
私は、「これが最後だから」と理由づけした。
大人になるには幅広い経験が必要だから、普通の人のフリをしようと。
高校生のころの行いの半分を、「これが最後の機会だから」と意識し、
決心はいずれ忘れてしまうのでずっとそのまま過ごしていたけれど、
戻ってみればすべては明らかで、
私は中学生に、小学生に、園児に、階段を駆け下りて
ひとつの個体に戻ってきたのだった。
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2015.10.20 Tue 綴り方

「善く且つ高貴に行動する人間は唯だその事実だけに拠っても不幸に耐え得るものだということを私は証拠立てたいと願う。」
とは、ベートーヴェン

理想がいるんだ。

2015.10.10 Sat ひえびえ

冴ゆという言葉を素敵だと思う。

自由だから隔絶されているのではなく、
隔絶されているから 私は自由なのだと教わる。

言葉を幾ら知っていても全然意味がない

透明なガラスの器、空っぽの器のように自らを認識していたものの、
誰かの器になることはできそうもないから、色づいていないもの、
きっと何らかの空気では満ちている。

気圧。
私はもっと光になりたい。
光ならば何ごとも偽らずに済むだろう。

2015.10.08 Thu 有徳と美と、

今日は空が青く晴れ渡っている。 

言葉を使うなんて野蛮だと、自然の一部として生きていきたいと思うけれど、
やはり実践が難しい。
忘れてしまうのはその程度の意思だから(?)

そんなことはしかし、
外があまりにも晴れていることに比べどれほど卑小なことか。
いつまでも眠っていてはだめだ。

対話は怖いけれど、対話のない交わりは嘘だ。と、信じて、学校へ行きます。

2015.10.06 Tue ラポール

「何もない」ということ。

「ぼくらはそんな形式にこだわらない。ぼくらは本質だけを問題にするんだ。」
とは『壁』の第二章ですが、格好いいなあ。
いつだって大事なことは秘して孤独だと喚きたてる未熟さよ。

共通前提がなければ語り合えない。前提への信頼がなければ。
何冊本を読み何人と出会い、いかなる手法を試してみても、
隔絶されたまま。知識は得ると空っぽになる。
空っぽの器そのものの私と同化する、だから何もない、いつからこうであるのか思い出せない、
何もないことへの悲しみが少しもないことはおかしなことだとどれほど自分を責めても、
現にこころの明るさが霞まないのだから そうでしかありえないのだろう。

一時的に何かモワッとしたものが内部に入ってきて、きっと、
呼吸が大切なのだと思った。そうした交流を素敵だと思うし、私は仏陀になりたいわけではない。
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