花の溢れる幸福なダストボックス

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2016.01.26 Tue 精神的貞操

通わせ合うという 「つながる」ことの最大値を取ることで
私の内部にある何らかの塊が崩れ、溶け(あるいは蒸発し)、小さくなっていく。
通路(他人との間に開かれていて、皮膚のように、通過していくものは感じ取ることができる)を行き来し、させたいのは、
その塊がなくなっていくのが嬉しいからなのだろう。

必ず双方向でなければならない、そして、
その甚だしさはほとんど等しくなければならない。そうでしかありえない。
どんなに沢山を差し出そうとしても、通路は狭い方にそぐう量しか通せない。

(通わせ合うというよりもっと具体的に、)人との交わりは、
最も完全な形で差し出したおのれの情報をほとんど確実に理解される、つまり、
「知られること」を承知の上で、知らせる、ということが必要なのだろう。
魂の端っこを掴まれ、暴かれていくことの恐怖は凄まじいが、しかし、
知られていると思うことは 少なからず塊を小さくさせる。
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2016.01.25 Mon 結節点

吸収と排泄に勝る歓びなどあろうか。
 「子供は常に酩酊しており、その子供が形態や色彩を自らの内部に吸収する歓び以上に、われわれがインスピレーションと呼ぶものに似ていないものはない。」
(『すばる』2月号 p182)

言葉を定義しないままで会話を進められるような鈍感さを生活上の必要に挙げます。
しかし、言葉の意味を共有しなければ二つの精神が出会うという奇跡はおこせない。
奇跡がおきない0バイトの情報を浴びて磨り減っていく子供は、
もはや汚らしい大人。

瞬間的なものと論理が、永遠性が溶け合うようなものを作り上げたいのだと 貫かれた。
(権威主義に傾く気は全くないけれど、)マルクスと詩がつながったことに加え、
大学に行く目的などないし、目的など最初から必要ないと結論づいていた進学に、
意義が発生した記念すべき事態は 記録しておきたいと思いました。

2016.01.01 Fri 新春

たくさん迷っていた。
感情の起伏すべてを抱えきれる完璧な器は文章を必要とせず、
苦しみは思考から生まれると思った。
完成されたものは美しく素晴らしいが私は未完成であるという現実があり、
現実を理想に当てはめるには未完成的な部分を押し隠せば良いと思った、
これは随分と前から。

理想という枠組みに至る過程は思考を必要とせず、
感情は堪えていればいずれ平坦に近づき、
言葉を発せず、一瞬一瞬に真剣になって生きていようと思ったけれど、
どうやらまた誤っていたようです。

きっと何にもない、理想も在り得ない。
事実というものは分かるとか納得するとか信じ込むとか、そういうことではないので、
言葉にするあそびさえなく、書く必要も感じられません。

満足へ至るために努力しているのは錯覚としてあるけれど、努力している時間のなかに満足は既にあるのだろう。だから、生きているんでしょう。
時間のなかに全てあるので、「正しくそして真なるもの」には「至る」のではなく「在る」のですね。

自分の確信を疑わず事実を覆わないこと、要は、嘘をつかないことだ。
これさえ守られていたら必ず完璧になれる。
今年は私が望み、また私を望む人とだけ時間を共有しようと決めた。
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