花の溢れる幸福なダストボックス

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2016.02.13 Sat 概念凝縮度の高い硬質な

思い出せないくらい随分前、
夢のなかの私は大学生で、とても気分が悪く、
恐らくはドラッグをしている退廃的なサークルに魅力を覚える。
入るより他の選択はしがたく、インターネット上で登録フォームを埋めていく。
氏名、電話番号、住所、その他幾つかの少し気の効いた質問に答えるが、
一番大きな、
「あなたが奥さんから一番最近聞いた言葉は何ですか。(女性の場合はあなたが言った言葉をお願いします。)」にどうしても答えられず、
無能力な人間は堕落さえできない
酷い日々を生きていた!と思って目覚める。

言葉にするのはそれが不自然なことだからだが、しかし、
強いて言葉にしなければ自然になれるわけではない。
腕や胸や首やふくらはぎや、身体中で渦巻く不可解なものを解き明かすことが一体必要なのか、どうか、私の世界に義務は存在しないけれど、
可能性を保持するために惰性で行うのは違うのだし、
増えてゆく定着し得ない様々を見逃すことの是非が分からないまま、
人から与えられた本を読む日々を過ごす。
幸せであることが問題なのだと思う。だから混乱する。
不幸という錯覚に裏切られることはないけれど、信頼や歓びが錯覚であったら切なくなるだろう。温かくあればあるほど。
それでも気づかないわけにはいかない、
だから多分、私は定着し難い様々を言葉によって生け捕りにしようと試み続け、
愛情と呼ばれる同一視を繰り返し、あるいは、
何かを好きになって世界を再構築し続けるのだろう。
しかしそれはもはや無意味な繰り返しではない、
なぜなら私という平野には何もなく(誇らしいとさえ思う)、そのために、
何も失わないのだから。
とりたてて自らを示すことでどういう結末になるのか分からないひとつの実験をしているが
失うとしたらそれは貞操というものだろう。精神的貞操。

空が明るいと嬉しい。
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2016.02.03 Wed 桜とあずきのアイス

丸みを帯びたフォルムを丁寧にゆびでなぞるような、
柔らかな布で包み込み、四角く硬い部分を少しずつ溶かしていくような行為をする。

お腹が空いているとかではなく、苦しんでいる人を救う一助となることを
社会と自分との繋がりかたに定め、
芸術を生活に近づけようと方針も立てた。

しかし、私の思う仕方で呼吸しているということが、
そのまま救いになるならば、凄い進歩である。
時間は無為には経られなかった。
通路には二方向あって、受け取る方と、届ける方。
なるべく自然な状態にまで還っていきたいから、
(無理して通路の両方を開かないこと、最後には、意識の上で個の区別がなくなること。)
他人を救うのは余波でしかないとはいえ、
こんな風にできるということは、少し嬉しい。

2016.02.02 Tue 真善美

真善美を自己と取り違えているのならば、
それを一度叩きつぶして、かれが占拠する空間を取り戻せば良い。
自分が他人のように思える、そして他人は他人ではなく 生きているのかさえ疑わしいと溢すとそう返される。どんなに痛くても。
それがそこにあるから戻ってくることができない とは、物理的で良い。

全くいつからか思い出せないが、私は私自身よりも、
論理的な矛盾や正しさを侵されることに激しい痛みを覚える。
不明瞭なことばかり。
(21世紀に生きているけれど大声で言おう、いや少し声を潜めて、
神と呼ぶようなもの(私には名前が分からない)があるから、
正しさや、それにまつわる様々な素晴らしいものも存在する。
ただ、私がまだ辿り着けないというだけのこと。)

なにか震えたものの息吹を暗闇のなかに感じるのだけど、
あまりに暗く、(そして初めからあるために)疑いをどう抱けば良いのか分からず、
理性の光の射し込むには遠くかけ離れているので、自分というものの小さな余波を
見逃してしまう私に代わって、明晰な現代的な知性が構造を確かめていく。
関心を抱く対象ではない他人がずっと私の部屋にありそれだけは追い出せないまま、
泥沼のように真っ暗で見えないならば、ないとしても構わないはずです。

この世界では、私を含めて幾つかの物体が距離を持って息づいている。
それでも 「決して戦わない」というやり方で戦っているのだと 
明らかにするのは言葉、優れた言葉たち、
暗闇の分析はできない、それでも、暗闇がかけて崩れていく衝撃に耐えながら
吹き抜ける風を感じながら、どうにか息を吸って 吐いている。
何も失わないのだから。
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