花の溢れる幸福なダストボックス

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2016.05.29 Sun 宝石

語られなかった言葉の上に成り立つ関係はあやうい。
それが傍からみて十分に誠実でも、あるいは常識的な納得できるような関係だとどんなにうまく説明できても、実際のところそうではなかった。実際のところそうではないのだ、少なくとも明らかな改ざんを行っていると自覚があるなら、二者関係は断層を備えた不確実なものでしかないのです。
過去が記憶に過ぎず、記憶はあまねく失われるさだめにあるなら、過去なんてなかった。
存在を消された存在の気配が遠ざかって近づいて、なかったものにされた存在の上になりたつ現実が公の理解が綻びをみせる。
私の築いてきたものは一滴の毒に過剰な酸素に負けたのだと嘆き、それから驚いて嬉しくも思った。私はようやく過去を築くことができたのだろう。試す前から諦めることは多かったけれど、綻びは繕ってゆけば良い。
私は昨年一年間初めて、まっとうに人間をやってきたと自負があります。初心者がゆえ失敗も数多くあった、でもこれからの一年は十年はきっともっとうまくやれる。そう思えば良いんでしょう、その程度のことなら。

悲しんで不幸で傷ついていなければ感じ取れない熟れた部分が、ひのひかりにさらされて、かさぶたができて、そうして失ってしまう。見つけた最適解のために起こる問題ではない、見つけた最適解のために自覚された問題だった。ある地域でいちどきに蕾が花を咲かせるようにそれはもうあちこちから噴出して足の踏み場もない、靴をぬがなければ。いちいちぜんぶに傷つくのは味方に刺されたからで、なかったことにされた感情の上に積み重なる感情はあやうい。
言葉にしないのは、存在して欲しくないということです。
何もなかったことにしたくないと行動を改めてもかつての連続の結果はそうそう変わらない、事後処理はおろかしい。それも仕方あるまい、過去を前提に成り立っているなら。
ただ足もとにガラスの破片のないことを祈るばかり。
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2016.05.27 Fri 増える

美しいといおうか正しいと洗練されたといおうか、ふるまいがまだ濁っているから、
生成されたものもまた鈍る。

こどもなので
永遠を信じているよ、まだ子供なので。

2016.05.22 Sun Your Majesty

見栄をはって踵の高い靴を履き痛めた左足も治り、
人生がゆるやかに晴れ渡ってくるようです。

信じ込んでいることに気づくことが必要です。決して不自由さを認めてはならない。
まずいと思い込んでいることは多いが曖昧に幸せになりたいともがいても幸福がやってくるわけではない。ただとても簡単なことなのだ。どうすれば幸せになるのかではない、私の一番の幸せは何であるか
考えたら答えは易しい。わたくしはもうわかっています。

縛られるところの多いからは打ち破る方向に向かっている人の傍にいなければ。そうでなくては私はだめになってしまう。そして、誰もだめにはしたくない。

欠如を煽りたてるのではなく、少しでも満たされるような、そういう関係を築きたい。

2016.05.20 Fri しりあい

こんなに咲いているのにと思えど。

煌めく生命がくすんでしまったと惜しむのは傲慢か、
一年の歳月を経て原石がそれも輝きを十分に予感させていた原石がと嘆くのはお門違いなのだろうか。本人が煩わしい何の価値もない、名誉、しかし一顧だにしないことに歯がゆさを覚える。
大学。

過去の話はよそう、随分なさま。
煌めく生命は初めから自由だった、不自由なのはいつだって私の方だった。だから眩しい。
他のひとはどう思うのだろう、
私の幸せを規定できるはずはないと十分確信しているけれど、
心からの善意(まるで私が抱いたような?)
通念を、まるで自分の成し遂げた偉業のように振りかざすのはやめてほしい。

幸せであれば私は何だって出来るから、こんな心配は無用なのですが。
他のひとはどう思うのだろう、かつて隠しきれない輝きを有していた生命の今の姿を見て心痛まないひとはいないだろうな。きっとまだまだ不自由なので。

2016.05.06 Fri 習作

鋭い言語感覚に刺される。
過度に精神的な関係のなか字数制限に活きる同輩に定型のナイフでぐさり。弛んだこの身体では傷口の感覚も鈍く、生暖かい血の冷えていくにつれつのるのは焦り。
弱ささえ武器にする貪欲なひとつひとつを支配する鼓動が、一切の韻律を仕切り、弾けて、叫んで、あらゆるファッションを吹き飛ばす。
刺されたら刺し返すよ、だから、私の代わりにウツをどこかへ捨ててきてください。

短文にしたら壊れるだろうからと 短文にすることでも
壊れるのだろうか、数々の慈しみは。

2016.05.03 Tue 雨ふり

一瞬とびたいだけなら書かなくていい。
精神の問題なのではないかしら、芸術にふれる目的が生活から離れるためであるならば。アルコールさえ必要ない、でも夢をみたいわけではないのだった。相も変わらず幻想を否定します。
「最近の若いひとはイリュージョンを持たないの?」と先生、要りませんとも。
積極的に降参を捧ぐ姿勢はぶざま。

不可解なまぜこぜの総体を分割して光を当てるのは言葉、これには骨が折れる。器が耐えられないと思う、器というのは私。
器から水がつまり感情が溢れだすのは構わない、それは個人の趣味だから。ただ問題は割れてしまうことだ。
それを避けるために文章にします、静謐さのなかに激情を溶かして。
私は現実にいるままで夢をみたい、現実をそのまま夢にしたい。たとえ不可能でも。
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