花の溢れる幸福なダストボックス

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2017.02.22 Wed 毒物

ものを感受するときの網の目が粗い人は往々にして無関心だが知恵者だろう。
私が愚鈍なのは全てを抱くことに拘っているためです。

「わたくしどもは圧倒的に語彙が足らない。」と、国文学の教授の研究室で
私を殴ろうと意図を汲もうと投げかけられた声を覚えている。
"juste la fin du monde"を一度目観て泣いたのは、私の語彙が少ないからであると 思って、
負け通しではいけないと二度目観に行けば今度はまた異なった色を映す。
「家族愛は信仰だと思うのですけど。」このように問えば、
「しかしその幻想を失うと(弱い)彼らには何にもない。」そのように返ってくる。
成る程、合理的ですっかり納得したけれども、多分三度目を観たらまた違うことを思うだろう。
あれを血縁愛とは幻想でしょうか、と問うた映画にはしたくなくて、
もう少し一般的に考えたい。<強い>かどうかは、作品の外に立てば明らかに影響を及ぼしているが、作品の内部にいれば問題の核心ではないように思われる。
しかし4,500円も落とす気にはならないので、三度目はない。

浴室を暗くしてシャワーを浴びているとき、「ずっと一緒にいてくれる人が欲しい」と気づいたが、
暫くすると、
それは<生きている人>でなくても良いと発見する。(生きている人を欲しがるのは圧力なのではないかしら。)

弱いから家族愛という幻想にしがみつくという考えは正しい、何も持たないから家族制度を拠り所に生きているのだ、ということを否定する気は微塵もなくて、ただ、わたくしはそのことに自覚的である必要がある。
つまり、弱き者が縋る家族愛、以外の家族愛、はあるのか?と次に問います。
あるいは、結婚。
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2017.02.18 Sat 透明な雨傘

わたくしのはんい、というものが確実にあって、
範囲を超えたところを生のまま触られると眩暈を起こす。
精神の半分が遠ざかって、半分で対処しながら、気絶に耐えている。
そこに体があったのかと。熱い金属が皮膚に当たるような、それも見えない皮膚に。
喩えるならば三本目の手をそれも火傷した掌を強く握るようなこと、
握られたからそこに現れたのか。
誰が背に腕を視よう 火傷するほど熱い体が
それを熱だと認識する物差しがわたくしを測る。
ことばはいつでも少し遅い。

風邪で熱を出すのは細菌を殺すためで、
筋繊維は傷んで肥大し、クリティークは作品を強くする。
わたくしという器は壊れて形を変える、
価値判断はない。

2017.02.14 Tue juste la fin du ...

構造の分析と価値の評価が平行して行われている様子は 耐え難い。

ときどき、急に泣いてしまうことがある。
<涙することで物事を解決しようとしている>ように受け取る人がいて、とても沢山いて、
そんな愚劣なことは決してしないと そのような信念さえも伝わっていないことにもう一度傷つく。
もう一度、という言葉が顕わにする、これは二重の暴力なのだった。
分析して理解へ、という理念は共有されず、関係の名を借りて行われるのは深層では拒絶と否定。
分析と価値評価を区別しない<わたくしを愛する>と言う人物に「涙して誤魔化している愚かな雌」と評価され、傷つくのは、やはり私の判断の網の目が粗いだけなのだった。どうして傷つくのか?
人と人は理解し合えるという立場に立ちたいといつまでもぐずつく。真偽を<どちらとも言えない>にせよ傾いている。
(不思議なことに、偽と考える人ほど熱心に他者と語り合う。)

『たかが世界の終り』を三日ほど前に観て劇場中ただ一人大泣きしてしまったのだが、
私の頭はそのような卑小な幾つかの、幾つもの経験を覚えていて、その傷は未だ癒えておらず乾いておらず(なぜなら傷は暗闇のなかで息を潜めていた)、
類する場面に出会うと力の限り守ろうとしているのだとようやく悟った。私しか私を守る人はいなかったからです。
どうして泣くのか?
圧倒的な語彙の不足に、
そして<愛しているからには理解を試みてくれる筈だ>という誤算に泣くのだった。愛という歪な言葉が与えた糠喜び。
(愛し方が違うので、と、誠実な言葉を覚えたのです。)
“空は白と言って、そうしたらわたくしは、
 雲は黒と申しましょう。それが愛の証――”
まさか、このような相互理解は存在する余地もないのだった。(空の色は<青>でさえなかったのだから。)
在るのはただの幻想の投影、気持ちが悪くてたまらない。

価値評価の暴力に対抗するために黙していると知って、
どうか否定ではなく理解のためにわたしの話を聞いて。理解できるか否かを問題にできる日は来るだろうか?いつか。
私が泣くのは、そこに生きていることの否定が入り込むからなのだった。
二つの暴力がある。人間の拒絶と否定、
理解するために読んで欲しい。そのように書くから、

言論を学んでいるのに。

2017.02.13 Mon プラトン的感情

もし永続する愛があるのなら、それはさざ波のようなものなのだろうか。

細波のように消え残る落ち着かない気分を壊してしまいたい、つまり、
既に築かれたものの中に避難してしまいたくなった。
実際はそんなことは有りえないわけだが、
しかしある見知った貝殻のなかで 私は隠れて呼吸した。
救い主がキリストとして生きなかったとして、キリストは救われるのだろうか。
(貝殻はきっとこう答えただろう、「救い主はその問いに直面しない。」)
およそ一日か二日で消える筈だった奇妙な危うさは七日前の時点でおよそ七日間続いており 降参、貝殻がキリストになりキリストが娼婦になり娼婦がかたつむりになる世界で生きているわたくしは、
相手の倫理の膜のなかで 一息、そうして振幅は実のところかなり収まったのだった。

既に築かれたものの中に避難して呼吸するための、誰からも見られないようにベールを
誰であれ相手の倫理を輸血することは不可能なわけだが、
血がないのか空気がないのか、それであれ分かれば話は容易になりましょう。

貝殻の脈を聞きながら私はこう問う、
「どうして愛は一瞬のものなのですか。どんなに美味しい食事も七日経てば空腹とは卑しい。」 貝殻は貝殻なので、
「七日間お腹にあれば悪くなるよ。」
貝殻の膜のなかで栄養が巡る。
「美徳と悪徳の混在を愛せる人の傍にいたら貴女はもっと生き生きするのでは?」

相反するふたつを抱いたまま肯くことが一人ではまだ できない。
精神で結びついているから見破られる、
(気づけなければ思惟はなく、革新もない。そこに救いはない。)