花の溢れる幸福なダストボックス

2017.02.18 Sat 透明な雨傘

わたくしのはんい、というものが確実にあって、
範囲を超えたところを生のまま触られると眩暈を起こす。
精神の半分が遠ざかって、半分で対処しながら、気絶に耐えている。
そこに体があったのかと。熱い金属が皮膚に当たるような、それも見えない皮膚に。
喩えるならば三本目の手をそれも火傷した掌を強く握るようなこと、
握られたからそこに現れたのか。
誰が背に腕を視よう 火傷するほど熱い体が
それを熱だと認識する物差しがわたくしを測る。
ことばはいつでも少し遅い。

風邪で熱を出すのは細菌を殺すためで、
筋繊維は傷んで肥大し、クリティークは作品を強くする。
わたくしという器は壊れて形を変える、
価値判断はない。

2017.02.13 Mon プラトン的感情

もし永続する愛があるのなら、それはさざ波のようなものなのだろうか。

細波のように消え残る落ち着かない気分を壊してしまいたい、つまり、
既に築かれたものの中に避難してしまいたくなった。
実際はそんなことは有りえないわけだが、
しかしある見知った貝殻のなかで 私は隠れて呼吸した。
救い主がキリストとして生きなかったとして、キリストは救われるのだろうか。
(貝殻はきっとこう答えただろう、「救い主はその問いに直面しない。」)
およそ一日か二日で消える筈だった奇妙な危うさは七日前の時点でおよそ七日間続いており 降参、貝殻がキリストになりキリストが娼婦になり娼婦がかたつむりになる世界で生きているわたくしは、
相手の倫理の膜のなかで 一息、そうして振幅は実のところかなり収まったのだった。

既に築かれたものの中に避難して呼吸するための、誰からも見られないようにベールを
誰であれ相手の倫理を輸血することは不可能なわけだが、
血がないのか空気がないのか、それであれ分かれば話は容易になりましょう。

貝殻の脈を聞きながら私はこう問う、
「どうして愛は一瞬のものなのですか。どんなに美味しい食事も七日経てば空腹とは卑しい。」 貝殻は貝殻なので、
「七日間お腹にあれば悪くなるよ。」
貝殻の膜のなかで栄養が巡る。
「美徳と悪徳の混在を愛せる人の傍にいたら貴女はもっと生き生きするのでは?」

相反するふたつを抱いたまま肯くことが一人ではまだ できない。
精神で結びついているから見破られる、
(気づけなければ思惟はなく、革新もない。そこに救いはない。)

2017.01.21 Sat E transfusão de sangue

赤信号を守るようになった。(以前に比べて)
統治の術を覚えてゆく、わたくしは

欲望を減じさせて なお感情を留めおくことは可能?

河をせき止める木板が生まれ成ったのだ、もしくは、
水源に傘を与えた。
氾濫するそれを抑えられることと、水のないことは違う。
名前のあることがいけないんだ。

蛇口を捻ってわざと水量を調節するのは色を把握するためだが、
そのものになってしまえば自分が何者かは知る由もない。蛇口の捻り方を先験的には知らない。色の名を再検討するのは趣味の話だろうね。

みにくい、
激情の醜さ、抑圧の醜さ、あるいは美しさ。
わたしは色の名を知らない。まだ与えられない。
しかし、生き物です。

2017.01.18 Wed 情報を食べる牛

先輩や先生と同様に、
恋人という言葉もまた複数を指していたらどうだろうかとふいに思った。
自由になれるのだろうか、せめて言葉の上だけでも?

帯を解くことにほとんど何の意味作用も見出だせず、
分からないことがあまりに多過ぎる、
「(感情が)遠い」という批判への応答を未だ一音も発せられていない。

人が人と愛し合うことはあまりに簡単なのだから、拘らず放っておけばよいのだと 言え、
通わせ合うことが自然なら、自然に還りたいと訴えるなら。

2017.01.01 Sun 空を飛ぶ

新年。
「年」という枠組み 数分異なっただけで心持を変えられる単純さを
わたしは今でも持ち合わせています。

今年はどんな一年にしようかと、1時半頃入浴していて、天井を眺めて、トカゲの張り付いた窓に、
湯船に、肌に目をやって、ぼんやりと考えていました
「どこへも行かないこと。」
わたくしは去年あまりに多くのところへ出向きすぎた、
精神的に 離れすぎたように思う。
「拡がること。」12月に来年の目標をこのように口にしたけれど、
拡がるためには、私をこれ以上遠く離れてはいけない。

どこへも行かないこと、
それは待つことだろうか?(2013年のモットーは「待つこと」であったけれど、あれは安直だった。)
断固として否定しなくてはいけない。

無意識に沈められたものの重みは消えることがない。
感受の仕方に影響を与えていると気づく鋭敏さを忘れずに、

本年も宜しくお願いいたします。